2013年07月03日

Childhood(1995年)

(7/23 一部訳修正)

美しい歌。夢のように。おとぎ話のように。けれど、あまりにも悲しい歌。
理解されない苦しみ、受け入れられない痛み、決して取り戻せない、愛に包まれているべき子供時代。

悲しみと無垢な心が美しく響く歌。

Have you seen my Childhood?
子供の頃の僕を、見なかった?
I'm searching for the world that I come from
僕は求め続けてる、僕がもともといた世界を。
'Cause I've been looking around
だって、僕はずっと探しつづけきたから
In the lost and found of my heart...
僕の心の中の落としもの置き場の中を、、、、。


ねえ、子供の頃の僕を見なかった?どこにいっちゃったんだろう。見つからないんだよ。今でもぼくは、ずっと探してるんだ。ほんとうは僕がいたはずの世界をずっと求め続けているんだ。どこかに落きわすれてしまったものを、ずっと探し続けているんだ。

childhoodは子供時代、なのだけれど、子供そのものを指すこともある。今回は子供そのもの、でとった。
Have you seen my Childhood?は「最初子供の頃の僕にあったことはある?」という訳にしていたのだけれど、Have you seen で「○○さんを見かけなかった?」というような人を探す表現としてよく使うのでそちらに青した。そのほうが、なくなってしまって、でもとても恋しくて、自分の子供時代をずっと探しまわっている僕の切なさがでると思うから。

この後の歌詞からも僕の子供時代が、とても不幸だったことがわかる。ほんとうは僕がいたはずの世界、とは、愛に包まれた幸せな子供時代、無垢な子供がすんでいるはずの夢の世界、そして、そうした子供時代を経て普通に大人になった今だろう。失われた子供のころの僕をずっと僕は探してる。

No one understands me
誰も僕をわかってくれない。
They view it as such strange eccentricities...
みんなはただ、普通じゃないと思ってる、、、、
'Cause I keep kidding around like a child, but pardon me...
だって、僕はずっと子供みたいにふざけ続けてきたから、
でも大目にみて、、、、


子供時代が失われた結果、僕の行動はちょっと普通の人とは変わってしまっている。僕は今でもずっと子供みたいにふざけ続けている。だから誰も僕を理解してくれない。けれど大目にみてほしい。

kiddingはほんとうなら大人になる過程で卒業するはずの無邪気な、子供みたいなふざけ方だろう。strangeは見慣れない、eccentricityは奇妙な行動、人、もの。子供は普通にやること、でも大人はやらないことなので、まわりの人はこういう感じでしか受け止められない。

People say I'm not okay
人は僕を認めてくれない
'Cause I love such elementary things...
だって、僕はすごく当たり前なことばかり面白がるから、、、、
It's been my fate to compensate,
それは僕の埋め合わせのきかない不運、
for the Childhood, I've never known...
子供時代を、僕は知らない、、、


OKは承認する、認める。否定形なので、承認しない、駄目だしされる、といった感じ。周りの人は僕の存在を否定する。

elementaryは基本的な、初歩的な。多分これは、大人にとっては当たり前で、めずらしくもなんともないことなんだろう。そんなことが大好きだから、周りの人は僕を「大人になってまだそんなことに興味をもってるなんて」と否定するのだ。

けれど、elementaryは、決してくだらないこと、ばかげたことではない。根本的で、根源的で、すべての土台になるようなこと。それを愛する、とは、そういうことを望ましいと思い、惹かれることだと思う。大人が当たり前だと思っているけれど、子供には新鮮な驚きであることはたくさんある。僕は、きっと、そうしたことにいちいち感動して、子供みたいに目を輝かせてしまうのだろう。それはほんとうは普通の大人がなくしてしまう、すばらしい能力なのだけれど。

fateはよくない運命。compensate forは埋め合わせをする、補償する。fate to compenseteは、埋め合わせをするべき悲運、つまりまだ悲運は埋め合わせられていない。何のうめわせか、といえば、経験できなかった子供時代。It's been my fate to compensate、のit、「それ」は、僕が当たり前のことばかりを面白がることだろう。今までもずっと、そしてこれからも僕の悲運はおそらく埋め合わせられることはないのだろう。

the Childhood, I've never knownは僕の知らない、つまり経験してこなかった子供時代。子供らしい子供の時代が僕にはなかったのだろう。僕は自分が子供時代を経験できなかった埋め合わせとして、今それを経験しようとして、大人から見ればおかしなことをし続けているのだ。不幸な子供時代を送っても、ちゃんとした大人になることはできる。だからといって子供時代が取り戻せるわけではない。失われた子供時代は、決して戻ってくるわけでもやり直せるわけでもない。この悲しみ。

Have you seen my Childhood?
子供の頃の僕を、見なかった?
I'm searching for that wonder in my youth
僕は求め続けてる、子供の頃に惹かれたものを。
Like pirates in adventurous dreams,
夢にみた海賊たちの冒険みたいに
Of conquest and kings on the throne...
王様の座を手にいれること、、、、。


ここまで歌詞を読み進めれば、Have you seen my Childhood?は、僕には子供らしい時代がなかったんだよ、という意味だということがわかる。だから僕は子供の頃のwonder、わくわくしたり、驚いたりしたものをまだ求めつづけてしまうのだ。

youthは若いころと訳されることが多いけど、この場合は子供時代のことだろう。日本語で若い、とすると子供のイメージと離れてしまうので、訳はそのまま子供の頃とした。

Before you judge me, try hard to love me,
決めつけてしまうまえに、僕を真剣に受け入れようとしてみて。
Look within your heart then ask
君の心の奥底を見つめて、そして試してみて。
Have you seen my Childhood?
子供の頃の僕を、見なかった?


judgeは判定する。自分のフィルター・価値基準に当てはめて、何らかの分類にいれてしまうこと、ラベルを貼ってしまうこと。その前に、一生懸命ためしてみて、僕を愛してみることを。

愛する、とは、相手のそのまま受け入れること。自分の思惑通りであるとか、ないとか、そういったことをすべて離れて、相手のありようをそのまま受容すること。だから、ここでは愛して、よりも「受け入れて」とした。自分の価値基準で、子供じみた変人、という判定をし、not okeyと言ってしまう前に、ありのままの僕を真剣に受け入れようとしてみてほしい、といっているのだ。

askは聞く、ではなくて、依頼する、の意味にとった。僕をまるごと受け入れるように、自分の心に頼んでみて、という意味だと思う。人は誰でも人を愛する能力を持っている。自分の価値観のフィルターでいろいろ偏見をもってしまったりするけれど、でも、ちゃんと心の奥底をのぞけば、聖なるもの、清らかなもの、愛してよいものはわかっている。そうしたものを愛する能力も備わっている。だから、自分の心に頼んでみて、といっているのだ。

People say I'm strange that way
人は僕を変だという。
'Cause I love such elementary things,
だって、僕はすごく当たり前なことばかり面白がるから、、、、
It's been my fate to compensate,
それは僕の埋め合わせのきかない不運、
for the Childhood I've never known...
子供時代を、僕は知らない、、


Have you seen my Childhood?
子供の頃の僕を見なかった?
I'm searching for that wonder in my youth
僕は求め続けてる、子供の頃に惹かれたものを。
Like fantastical stories to share
みんなと聞いたおとぎ話みたいに
The dreams I would dare, watch me fly...
捨てたくない夢のように、みて、僕は空に舞い上がる、、、、


Before you judge me, try hard to love me.
決めつけてしまうまえに、僕を真剣に受け入れようとしてみて。
The painful youth I've had
僕がすごしてきた、辛く悲しい幼い日々。
Have you seen my Childhood...
子供の頃の僕を、見なかった?


まるで女性のような、美しいマイケル・ジャクソンの声が響く、夢のような曲。

もともとは、母親から引き離されたシャチと、母親に捨てられた少年の交流の物語を描いた映画に使われた曲だというけれど、歌詞を読めば、そのままこれは、マイケル・ジャクソンの自叙伝だろう。ぜんぶ、ぜんぶ、彼が言いたかったことだろう。こんなにストレートに、無垢に、さらけだされてしまったら、一体どう受け止めればいいのだろう。

elementaryなことは、大人が忘れてしまっただけで、ほんとうはすばらしいこと。僕は楽しい子供時代を味わえなかった代わりに、いつまでも本質や根源を見通し、その美しさ、すばらしさを味わえる、子供と同じ無垢な魂を失わずに大人になったのだ。それを自分の価値観でおかしいと思ってしまう非寛容な大人たち。

受け入れて、そのままを。これは子供のころからも、大人になってからも、彼の心からの願いだったのだろうと思う。これは彼のためだけではない。愛する能力は、愛する人も幸せにする。そして、そのままを受け入れられる寛容を愛という。

参考にさせていただいたページ:
マイケルの遺した言葉/マイケル・ジャクソン氏の歌詞の日本語訳詞集
posted by LightWing at 00:41| HIStory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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