2013年08月30日

Stranger In Moscow(1996年)

この曲が作られたのは dengerous ツアーでモスクワを訪れたときだとか。彼の人生をどん底に突き落とした悪夢の裁判の最中。曲全体に漂う遊離感は彼の不安定な心の表出。

この歌を読み解くカギは「ソビエト連邦共和国」に対する当時のイメージを正確に理解することだ。

曲の中に出てくるのは今のプーチンのロシアのイメージの国ではない。アメリカと冷戦を繰り広げていた「西側諸国の敵国」、この曲が作られたころにはすでに崩壊してなくなっていた、大国で、秘密主義で、得体のしれない不気味な国、共産主義にして全体国家のソビエト連邦共和国「ソ連」。すでに崩壊後に生まれた世代が社会人になる世の中で、想像できない人も増えているのではと思うが、当時を見ていたひとりとしては今の日本人が思う北朝鮮が1000倍強大になった、と考えると近いかもしれないとおもう。そういう非常に不気味な存在なのだ。個人の尊厳や自由など、国家の前には風前の灯。そんなイメージの国である。そしてKGB(カー・ゲー・ベー)は邪魔な人間を手段を問わず追い詰め、抹殺する、そうした恐怖の国家、ソ連を象徴する巨大スパイ組織だ。

この曲は、陰鬱な天気と個人を抑圧する強大な国家権力、という得体のしれないかつてのソ連のイメージに、追い詰められた陰鬱な彼の心がシンクロして生まれた作品なのだろう。普段は息をひそめている、モスクワという街に刻まれた時代の記憶が、ぎりぎりだった彼の心に忍び込んで見せた光景に、彼は彷徨ったのかもしれない。

この後彼は崩れ、ワールドツアーは中止される。全盛期といわれたパフォーマーは心無い中傷の前に崩折れ、世界は稀代のアーティストの創作活動に触れる機会を喪失した。

I was wandering in the rain
あてどなく彷徨う雨の中
(Mask of life, feelin' insane)
(仮面の人生、狂いそうな心)


淡々とした、浮遊するようなトーンの歌声に、同じく表情に乏しいコーラスが掛け合う。コンサート会場の華やかな雰囲気、スーパースターとしての彼と、あまりに落差のある、今の心境。華やかな自分は偽りの仮面。内側の心はもう崩壊寸前。モノクロのPVのイメージは、そのまま、色をなくしてしまった彼の心の風景。

Swift and sudden fall from grace
一瞬の、そして突然の、恩寵からの転落
(Sunny days seem far away)
(陽の当たる日々は遥か彼方)


ある日突然、彼は地獄に突き落とされた。祝福された日々、神の恩寵から、いきなり零れ落ちてしまったのだ。美しく、彩溢れた陽の当たる場所にいた日々が、もうはるか昔に思える。

sunny daysは晴れた日々、なのだが、ここでは陽の当たる、という言葉を当てた。文字通り陽の当たる場所から転がり落ちてしまったのだ、という彼の状況を表すにはそのほうがしっくりくると思うので。

is ではなく seem なので、そうした日々は遠い、ではなく遠くに「思える」。実際にはそんなに昔ではないのに、という意味が隠れているのだろう。それほど急激な転落に、彼は見舞われた、ということなのだろう。

Kremlin's shadow belittlin' me
クレムリンの影の前に俺はあまりに小さく
(Stalin's tomb won't let me be)
(スターリンの墓は俺の心をかき乱す)


クレムリン、はソ連・ロシア時代を通してのこの国の政治中枢が置かれている建物の名前。帝政ロシア時代の古めかしくて巨大な城塞。だが、そこからソ連・ロシア政府と同意に使われる言葉である。ここでは旧ソ連時代の、強大で不気味な権力組織「ソビエト連邦共産党」の意味だろう。そうした、抗いがたい強大な力が、俺に迫ってきている。お前など、我々の権力の前には吹けば飛ぶような些細なものなのだとあざ笑うように、、、。このフレーズはそんな感じだと思う。

belittle は be + little で、小さくする、つまりは矮小化するとか、卑下する、という意味。ここでのニュアンスとしては「お前なんか大したことないのだ」という感じでせまってくるイメージだろう。なのでここでは貶める、の言葉を当てた。文本来の意味は「俺を矮小化するクレムリンの影」なのだが、主旨が伝わりにくいのでかなり意訳している。

そして、スターリンはそうした国家の「強権」を象徴する政治家だ。個人など簡単に踏みにじってしまう巨大権力の象徴。ソビエト連邦成立の立役者にしてこの国の独裁者、KGBを成立させ「人民の敵」として60万人ともいわれる人々の大粛清を行った恐怖の第二代ソビエト連邦最高指導者(ソ連を大国に躍進させたとしてのポジティブな評価もあるが、ここでのイメージはそうした評価ではないだろう)。彼が成立させたKGBに連行された人々は厳しく尋問され公正な裁判など受ける機会も権利もないままに、消えていった。

このスターリンの墓はクレムリンの壁沿いにある。城塞の壁に沿ってロシア・ソ連に功あった人々の墓標が並び、スターリンの墓標もその中の一つだ。自分を貶める不気味で、そしてあらがい難い暴力の象徴と言ってよいその人物の墓標を見ると、心は千々に乱れ、俺は普通ではいられなくなってしまう。そういうことなんだろうと思う。

let me beは私をあるがままにしておく、won'tがくっついて、私をあるがままにしようとしない、という意味のフレーズ。ここではあるがまま、というのは素の状態、安定した普通の状態だろうと思うので、こんな言葉をあてた。スターリンの墓をみてそこから想起される恐ろしい予感に、圧迫感、恐怖、不安、そうしたものが一気に噴出してきて取り乱してしまうのだろう。

On and on and on it came
繰り返し繰り返し繰り返し、こみ上げてきた思い
(Wish the rain would just let me)
(雨よ、俺を解放してくれ)


ぐるぐると回る思考。何度も何度もこみ上げてくる思い。cameはこころに浮かぶ、itは、多分、これから起こることへの恐怖や、悪夢のような運命の予感だろう。それが憑りついて心を締め付ける。そして願うのだ。「ああ、雨よ、こんな苦しい状態から、どうか俺を開放してくれ」。この先どうなるのだろう。付け狙われ、いつ命を奪われるのかもわからない、一体何が起きるのか。どう考えても恐ろしい予感しかしない、この不安と恐怖。ああ、どうかそこから俺を開放してくれ、と。

だけどその切なる願いは決してかなうことはない。

(How does it feel)How does it feel
どんな気分?
(How does it feel)How does it feel
どんな気分?
When you're alone and you're cold inside
孤独で、心が凍てつくときって


どこかから問いかけてくる声が聞こえる。ねえ、どんな気分?どんな気分なの?孤独で心のなかが凍てついてしまうようなときって。

Here abandoned in my fame
自らの名声の中に打ち捨てられ
(Armageddon of the brain)
(頭の中は終末の戦場)


abandonedは捨てられた。in my fameは自分の名声の中に。ちょっとわかりにくい表現んで悩んだけれど、結局、彼の並外れた名声が災いして、その名声を持ちながら、今惨めに打ち捨てられたようにボロボロになっている自らのイメージの表現だと思う。彼の大きすぎる自らの名声が、この時初めて大きな厄災となって彼に降りかかった。普通の人よりもはるかにひどい中傷、言いがかりのような裁判、無茶な要求、容赦ない批判。不幸にして彼の人生でこうした自体は、この時がほんの始まりであるのだけれど、名声があるが故の厄災、それを初めて彼が深刻に感じたのがこの事件だったのではと思う。いままでもマスコミにひどい目には合わされてきたけれど、この時の裁判は、それとはまったく深刻度が異なる。

Armageddonはキリスト教の最終戦争、アルマゲドン、なのだけど、そのまま出すとちょっと雰囲気壊すので言い換えた。

KGB was doggin' me
KGBが俺を付け狙う
Take my name and just let me be
名前など奪ってゆくがいい、だから、俺を開放してくれ


巨大な権力、KGBが、俺をとらえようと執拗に狙ってくる。恐ろしい予感にとらわれ、不安が心を占拠する。名声なんかいらない。スーパースターマイケル・ジャクソン、なんて肩書、くれてやる。だからその代わりに、もう俺を自由にしてくれ。世界中どこへ行こうと執拗について回る、この忌まわしい追跡から、どうか俺を開放してくれ。一介の名もなき市民となって自由の身に開放されたい。

そんな感じだろうか。どうして、どうしてこんなことになってしまうのか。今までもさんざんメディアには悩まされてきた。もうたくさんだ。いっそ名前なんか捨ててしまいたい。

そんな彼の深い苦悩。

ものすごい努力の成果の名声だけど、彼にとってはもともと自分が望んでなったわけではない芸能の道だ。好きな道ではあったけれど、もとは親に強制されて入ったようなもの。ものごころついた時には望むと望まざるとにかかわらずついて回っていた名声、普通の人生を彼は知らない。Human Natureで壁の中になんかいたくない、といっていた彼。今その彼は自分の名声を呪っているのかもしれない。

Then a begger boy called my name
物乞いの少年が俺の名を呼んだ
(Happy days will drown the pain)
(幸せな日々ならこの痛みを鎮めてくれるのだろう)


名声なんか捨ててしまいたい。それより自由が欲しい。普通の人間に戻りたい。そう願う彼。だけど、そんな願いはかなわない。物思いにふけりながら彷徨う彼を、物乞いの少年が彼の名で呼びとめる。そう、物乞いの少年ですら、彼が何者なのかを知っている。どうしたって彼は逃れられないのだ。「マイケル・ジャクソン」という呪縛から。今までも何度もそう思ってきたのだろう。それが今はひときわ身に染みる。

幸せに暮らしているならこんな痛みも鎮まるのだろうけれど、、、今の状態では、痛みは和らぐことなく、心に突き刺さってうずいていくのだ。

切ないくらいの苦悩が滲む。


On and on and on it came
繰り返し繰り返し繰り返し、こみ上げてきた思い
And again, and again, and again...
何度も、何度も、何度も、、、、
Take my name and just let me be
名前など奪ってゆくがいい、ただ、俺を自由にしてくれ


(How does it feel) How does it feel
(How does it feel, How does it feel, How does it feel)
(How does it feel) How does it feel
How does it feel, How does it feel
When you're alone and you're cold inside
(繰返し)


しつこく、しつこく追いかけてくる声。
ねえ、どんな気分?ねえ、どんな気分?
幻聴なのか、マスコミのマイクなのか。

Like stranger in Moscow... Lord have mercy
モスクワに迷い込んだ異邦人のよう、、、、主よ、ご慈悲を
Like stranger in Moscow... Lord have mercy


こんな時、どんな気分かって?
モスクワにうっかり迷い込んだ西側の外国人のようだよ!
付け狙う影におびえ、不安と恐怖で狂いだしそうさ!

そんな感じか。

淡々としたトーンが、ここから少し強くなる。まるで吐き捨てるかのように。

strangerのここでの訳には、もう普段は使わなくなった古めかしい日本語「異邦人」がぴったりだろう。つまり外国人。ソ連の人民ではない人だ。旧ソ連の時代、この国は日本など共産圏に属さない国々の国民が気軽に行けるところではなかった。アメリカを頂点とする資本主義国家と、ソ連を頂点とする共産主義国家は、激しい敵対関係にあったこともあり、そんなところに迷い込んでしまった異邦人は、敵陣営のスパイの疑いをかけられ、KGBに拘束され命の保証だってなくなって不思議はない。

そんなところに、意図せず迷い込んでしまったら、、。助けも来ない絶望に打ちひしがれて、不安や心細さや、一体どうなるのだとう恐怖や怯えにすっかりとりつかれてしまうだろう。でも今俺は、まさにそんな気分なのだ。目が覚めたら、世界が一変していて、自分はモスクワにいて、KGBに狙われ、、、ひどい悪夢だ。

ああ、神よ、どうかそんな私に、お導きを、、、、。

そう言いたくもなる、追い詰められた状況。

We're talkin' danger
そう、危険なんだよ!
We're talkin' danger, baby
そうなんだ、危険なんだよ!
Like stranger in Moscow
We're talkin' danger
We're talkin' danger, baby
Like stranger in Moscow
I'm living lonely
俺は孤独を生きている
I'm living lonely, baby
Like a Stranger in Moscow


そうさ、まさにそういうことなんだ。俺は脅かされている、危険な状態に追い込まれているんだよ!
We're talking は、まさにそういう話をしている、というのが文字通りの意味だと思うが、そこから転じてそう、まさにそういうことなんだ、という感じ。

ここまで文学的な表現で不安を表現してきたけれど、結局のところ、俺は追い詰められて危険な状態にある、と言っているのだ。まるで、共産主義国家ソビエトにうっかり紛れ込んでしまった外国人のように。いつ捕らわれ、拷問され、人知れず息絶えても不思議ではない、そんな運命の前に立っているのだ。だけどそれを分かちあう相手もいない孤独。孤独の中を生きている今。

[KGB interrogator - Russian to English Translation]
"Why have you come from the West?
貴様なぜ西から来た?
Confess! To steal the great achievments of the people,
吐け!人民の偉大なる業績、
the accomplishments of the workers..."
労働者の成果を盗みにか!


そして、最後のナレーションは、恐れていた事態の始まりを描写する。これが、何度も心に浮かんでいたit、恐怖・不安の中身だろう。KGBは異邦人を連行し、きつく尋問をはじめ、自白を強要するのだ。「人民の敵」。これは当時のソ連にあっては死刑宣告だ。スターリンの大粛清で殺された人々の罪状がこの「人民の敵」なのだから。


丁寧に読み解いていくと、彼のつぶされそうな不安な心境が、独裁国家の秘密組織に狙われる状況になぞらえて痛いほど伝わってくる。と、同時に、それでもまだ、このころはよかったんじゃないかと思えてしまう。名声ゆえにどこへ行ってもついて回る巨大な世論という名の権力を、旧ソ連という自らとは遠い国に投影していられたのだから。裏返しにして言うならば、その反映先が旧ソ連である程度には、西側諸国=「自由主義圏」のトップたるアメリカを信頼していたのだろう。

けれどのちにその祖国に、彼は疑念を抱くようになる。それは虚構ではなかったかと。それがscreamやthey don't care about usの表現へとつながっていくのだ。人権を蹂躙するような事態は、自分の祖国でも普通に起きうるのだと。

そもそもスターリンが大虐殺を行ったのは事実ではあるが、その後のソ連がずっとスターリンのようだったわけでもない。共産主義と資本主義、という財産所有の形態の違いによる対立を、共産主義対「自由主義」と呼んで対立構造としていた「西側」は、他国をひどい国とみなすことで安心し、足元を見ることを忘れていたのかもしれないけど。







posted by LightWing at 01:28 | TrackBack(0) | HIStory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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