2013年06月24日

Earth Song(1995年):追記

背景や歌から読み取ったもの、この訳詩になった理由の説明を一緒に書いたページ。
 英語と訳詩を一気に見る場合はこちら

What about sunrise? What about rain?
What about the all things that you said we were to gain?
昇る太陽はどうなってしまうんだ? 雨はどうなってしまうんだ?
俺たちが当たり前に得られるものだと君がいっていた  すべてのものはどうなってしまうんだ?


what aboutは、どうなるのか?どうするのか?どうなったのか?どうなってしまうのか?過去でも現在でも未来でも使える。この歌の中でも自在に使われている。おかげで少し訳はしにくい。

sunriseは日の出、なんだけど、次の行の雨との対比なので、太陽のほうを強調したかった。

be to 不定詞(動詞の原型)で「することになっている」とか「しようとしている」などの運命・予定をあらわす。なので、we were to gainは、当然、手にいれることになっていると思っていた、手に入れる予定でいた、という意味がある。それを強調したかったのでこういう訳にした。人間は、そんなもの、当然自分たちが与えられて当然だと思っていたのだ。水、空気、森の風、花の安らぎ、自然がもたらす豊かな恵み、殺されない平和、明日への望み。それを当たり前だと思ったおごり高ぶった感謝なき人々。豊かなものを当然と思い、もっともっとと経済的な強欲だけを求めた人類。

ひとごとじゃない。日本は昔、水と安全がタダ、といわれた。世界で稀有な恵まれた国だった。当たり前と思えば無くなる。今の状況はどうだろう?一昔前まで、私たちが当然だと思っていたものはどうなったんだろう?

What about killing fields? Is there a time?
What about the all things that you said that was yours and mine?
この殺戮の広がる様はどうだ? まだ時間は残されているのか?
俺たちのものだと君がいっていた  すべてのものはどうなってしまうんだ?


killing fieldは殺戮が広げられている様子を示す修辞的な表現。別に野原に意味があるわけじゃないと思うのでこれくらいの訳で。

Is there time?は時間があるのか。何の時間か、といえば、対処してもとに戻す時間はあるのか、ということ。つまりいいたいことは「今からで間に合うのか?」。切迫した切実な問いかけ、警告なのだ。

Did you ever stop to notice all the blood we've shed before?
Did you ever stop to notice this crying earth, this weeping shores?
君は立ち止まって顧みたことはあるか?今まで俺たちが流してきた血を 
君は立ち止まって顧みたことはあるか?この星の嘆き、この海のすすり泣きを


stop to 不定詞で、「〜〜をするためにとまる」(stop doingだと〜〜をやめる)。Did you ever stop to noticeは、意識を向けるために(notice)立ち止まったことはあるか?

all the blood we've shed before、HIStoryの「彼」と共通のモチーフ。黙っていてこの平和・平穏は手に入ったわけじゃない。たくさんの過去の「彼」が抵抗空しく虐殺され、踏みつけられ、たくさんの嘆きが大地を覆った過去を礎に築き上げられてきたはずなのだ。「毎日、忙しそうにしている君は、毎日、安穏とただ送っている君は、それを考えたことがあるのか?」。

マイケル・ジャクソンは、ひとごとにすること、高みに自分をおいて批判すること、を警告する。これは、They don't care about usや、screamなどでも共通するモチーフだと思っている。ここの行も、歌詞を読む、歌を聴く、ひとりひとりに対する全身全霊の訴えだ。

shoreは海岸だけど、波打ち際の波の砕ける音を嘆きの声に例えた文学的表現だと思うので、こういう訳にした。

What have we done to the world? Look what we've done.
What about all the peace that you pledge your only son?
俺たちはこの世界に何をしてきたんだ? 俺たちがしてきたことを見てみろ。
君がたった一人の息子に残してやるはずの  穏やかな日々はどうなってしまうんだ?


人間は一体何をしてきたのか?振り返ってみてほしい。この主語をweにするのがマイケル・ジャクソンの世界観であり、哲学。weにはもちろん、自分自身も入る。あなたも入る。取り組むのも、立ち向かうのも、それで幸せになるのも、全部 you and meなのだ。彼は決して自分を外に置いたりしない。あなたをも逃がさないかわりに、自分だけ幸せになろうとしない。あなたを幸せにすることも忘れない。ここがマイケル・ジャクソンのすごいところで、この精神こそが「愛」なんだと思う。

peaceは平和でもいいんだけれど、日本語にすると、戦争・争いに対する平時の意味合いが強くなってしまう気がする。英語だと、心の平和、のように、平穏・愛に満たされた、というイメージも含む。だから、あえて訳を変えた。自分の可愛い息子、その息子に君は、争いや不安に心乱されること無く、豊かな自然と人の愛に包まれた平穏な日々を残してやるのではなかったのか?世界は幾度も争いを経て、そう誓ったのではなかったのか?それはどうなってしまうのか?

What about flowering fields? Is there a time?
What about all the dreams that you said that was yours and mine?
花咲く原野はどうなってしまうんだ?  まだ時間は残されているのか?
俺たちのものだと君がいっていた  夢はどうなってしまうんだ?


花咲き誇る野原。自然に広がる花畑。豊かな自然を象徴する心和む風景。けれど、今の現状、それが一瞬で開発され、消失してしまうことなんて、普通にある。道路を通したり、他でやった開発で風や水の流れが変わり、生態系が破壊されて、消失されてしまうことだってある。明日をもしれぬ儚い野の花たち。今からで間に合うのか?時間はあるのか?こんな流れを止められるのか?そういう思いだろう。

そして、夢を人は見られなくなった。不安に駆られる社会。日本なんか特に顕著だろう。かつて今より素敵な未来、というものをこの国の人々も信じていた時代があった。自由で、可能性に溢れていたはずの、一度私たちが手に入れた明るい未来への希望は、いったいどこへ消えてしまったのか?

Did you ever stop to notice all the children dead from war?
Did you ever stop to notice this crying earth, this weeping shores?
君は立ち止まって顧みたことはあるか?戦争の中で死んでいった子供たちを 
君は立ち止まって顧みたことはあるか?この星の嘆き、この海のすすり泣きを


そしてそうした時代がくるまでに、いったいどれだけの子供たちが戦争に巻き込まれ、幼い命で悲惨な運命を受け止めなくてはならなかったか。世界中でどれだけの子供たちがそんな目にあったか。その意味を私たちはほんとうに考えてみたことはあるだろうか?、、、あれば、今のような時代にはなっていないんじゃないだろうか。

I used to dream, I used to glance beyond the stars.
Now I don't know where we are although I know we've drifted far!
俺はかつて夢見ていたよ、星の向こうを望んでいたよ。
もう、俺たちがどこにいるのか、俺にはわからない。
遥か遠くに流されて来てしまったことはわかるというのに!


かつては夢・希望といったものを確かに持っていた。glanceは一目見る、覗き見る。beyond the starsは、星の彼方に。I used to glance beyond the stars.は、はるか彼方の未来を希望に満ちて思い描くことができた、という意味なんだろうと思う。

Now I don't know where we are although I know we've gone far!夢を信じて、星(希望)を頼りに進んできたはずなのに、なのに、そんな明日への希望に溢れていた日々はどっか遠くへいってしまった。もう、自分たちがどこに来てしまったのかすら解らなくなってしまった。ここはどこなんだろう?でも、もうはるか彼方に流されてきてしまったことだけは解る。絶望的な気分。

日本だって同じだろう。明日がよくなると信じてここまで、とりあえずは一生懸命やってきたはずだ。なのに、今のこの世の中は何なんだろう?失われた20年、どこを漂ってきたんだろう?解るのは、はるか遠くへ来てしまったことだけだ。

What about yesterdays? (What about us?)
What about the sea? (What about us?)
The heavens are falling down. (What about us?)
I can't even breathe! (What about us?)
過去はどうした?(私たちはどうなるの?) 
海はどうだ?(私たちはどうなるの?)
楽園は地へと落ちている。(私たちはどうなるの?)
俺は息すらままならない!(私たちはどうなるの?)


yesterdaysは過去だろう。過去の輝いていた日々は?過去の血を流して今を築き上げてきた日々はいったいどこへいったのか?といった感じ。

heavensは空でもいいんだけれど、楽園と訳した。Heal the worldに見られるように、マイケル・ジャクソンは、この世界は本来は、すばらしいところで、そこで人は豊かに暮らすことができる、と考えていると思う。この自然に恵まれ、心豊かにくらせる状態、世界の本来の有り様がheavensなんじゃないかと思う。そして、そのheavensを失うのは、人が愛を失い、強欲や恐れに取り付かれたときなのだ。そのhavensが今まさに失われている様が the heavens are falling down.なんだと思う。アダムとイブの「失楽園」のモチーフだ。そしてその様子に文字通り息詰っているのが「息もできない」の意味だろう。

ここから、コーラスがずっと what about us?を繰り返す。これは、このままで自分たちはどうなってしまうのか?というのがまず直接的な意味だと思う。それに加えて、どうするのか、何をしてきたのか?といった意味が重なっているのだろう。

What about the apathy? (What about us?)
I need you! (What about us?)
What about nature's worth? (What about us?)
Is that our plant's womb? (What about us?)
この無関心はどうだ?(私たちはどうなるの?)
君たちが必要なんだよ!(私たちはどうなるの?)
自然のもたらすものはどうなってしまうんだ?(私たちはどうなるの?)
それがこの星の命すべての源じゃないのか?(私たちはどうなるの?)


この絶叫がまさに訴えたいこと。こんなにいろいろなことがおきているというのに、この無関心はなんなのか?ひとりひとりの力が必要なんだ!という全力の呼びかけ。worthは、価値とかメリットなんだけど、日本語にすると、人間が上で自然を利用する表現になってしまうので、訳はこの程度に。

ただし、、、この2行
 What about the bleeding Earth
 Can't we feel its wounds
という別解釈がある。2行目の最後はほんとうは you より woundsに聞こえるんだけれど、一行目は、どうしても What about the apathy?に聞こえる。でもねじれちゃうと意味が通らなくなる。ここでは、apathyのほうをとった。

wombは文字通りは子宮なんだけど、日本語であまりこういうときに使う表現じゃないので、訳は変えた。

What about animals? (What about it?)
We've turned kingdoms to dust. (What about us?)
What about elephants? (What about us?)
Have we lost their trust? (What about us?)
動物たちはどうなるんだ?(動物たちはどうなるの?)
俺たちは彼らの王国を不毛の大地に変えてしまった。(私たちはどうなるの?)
象たちはどうなるんだ?(私たちはどうなるの?)
俺たちは彼らの信頼をなくしてしまったのか?(私たちはどうなるの?)


distは埃じゃなくて、砂埃が舞うような、緑のない、文字通りの不毛の大地、命が住みにくい大地のことだろう。

trustはかつては人と動物がうまくすみわけあい、ときに家畜として働いてもらったりしながら、うまく共存してきたことを表すのではないかと思う。かつて象たちは人間も自分と同じ動物の一種として、まあ、そう自分たちに酷いことはしない存在として、ある意味信頼をしてきていた。そうした関係は失われてしまったのか?

What about crying whales? (What about us?)
We've ravaging the seas. (What about us?)
What about forest trails?
Burnt despite our pleas. (What about us?)
咆哮する鯨たちはどうなるんだ?(私たちはどうなるの?)
俺たちは海を荒らしつくした。(私たちはどうなるの?)
森の小径はどうなるんだ?
俺たちの願い空しく焼かれてしまった。(私たちはどうなるの?)


ravageは破壊する、なんだけど、こっぴどく破壊する、という感じなので、こんな訳に。

What about the holy land? (What about it?)
Torn apart by creed. (What about us?)
What about the common man? (What about us?)
Can't we set him free? (What about us?)
あの聖地はどうなるんだ?(聖地はどうなるの?)
相容れぬ教義に引き裂かれてしまった。(私たちはどうなるの?)
名も無き人はどうなるんだ?(私たちはどうなるの?)
束縛から解き放つことはできないのか?(私たちはどうなるの?)


holy landはエルサレムなんだろうなあと思う。宗教が入り乱れて紛争を引き起こしている。
the common man は普通の人々、肩書きの無い人々。英雄などではなく、普通の市民だろう。

What about children dying? (What about us?)
Can't you hear them cry? (What about us?)
Where did we go wrong? (What about us?)
Someone tell me why! (What about us?)
死に行く子供たちはどうなるんだ?(私たちはどうなるの?)
君にはあの泣き叫ぶ声が聞こえないのか?(私たちはどうなるの?)
俺たちはどこで間違ってしまったんだ?(私たちはどうなるの?)
なぜなんだ、誰か俺に教えてくれよ!(私たちはどうなるの?)


相変わらず死んでいく子供たちがいる。けれど皆無関心。
一体、人は、私たちはどこで道を間違えたんだろう?

What about my baby boy? (What about it?)
What about the days? (What about us?)
What about all their joy? (What about us?)
What about the man? (What about us?)
俺の可愛い息子はどうなってしまうんだ?(彼はどうなるの?)
彼らの人生はどうなってしまうんだ?(私たちはどうなるの?)
彼らの喜びはどうなってしまうんだ?(私たちはどうなるの?)
人はどうなってしまうんだ?(私たちはどうなるの?)


daysは日々。時代。訳人生より時代のほうがいいかもしれない。

自分の可愛い息子。いったいこんな世の中で、彼の人生は、彼の喜びは一体どうなってしまうのか?

What about the crying man? (What about us?)
What about Abraham? (What about us?)
What about death again? (What about us?)
泣き叫ぶ人はどうなってしまんだ?(私たちはどうなるの?)
アブラハムはどうした?(私たちはどうなるの?)
復活の後の死はどうしたんだ?(私たちはどうなるの?)


アブラハムはユダヤ人10部族の祖。ノアの大洪水で神が罪深き人々を滅ぼした後で、神が戒律を与え、保護した人のことらしい。そうした道徳と誇り高き人々はどこにいってしまったのか。

この辺、聖書の話になってきている。再びマイケル・ジャクソンが信仰していたエホバの証人の世界観を顧みると、一度ハルマゲドンがきて、人が滅んだ後に、大多数の人は復活してきて、1000年過ごしそこできちんと信仰に目覚めた人は永遠の命を、そうでなかった人は永遠の死(復活しない死)となるといわれているらしい。death againは神が与える二度目の死ではないかととった。こんな罪深いこと、おろかなことをし続ける人間は、神が制裁をするのではないか?二度と復活しないものとして記録されるのではないか?

二度と復活しない死は、もっともエホバの証人が恐れる仕打ちのようである。そしてすぐ下にでてくるdamnの本来の意味だ。この辺キリスト教に共通するのかもしれない。もう少し調べないとわからない。

あと、マイケル・ジャクソンは、母親がエホバの証人だった関係で小さい頃から熱心な信者であったようだけれど、多分、どっかでやめているんじゃないかと思う。エホバの証人だったら離婚もできない。

Do we give a damn!
俺たちにどうか神の裁きを!


give a damnで普通は気にかける、なんだけど、ここではこうした極めて宗教的な2行に続いているので、damnを本来の神が人を地獄に落とす、永遠の罰に処する でとったほうが相応しい気がする。これがdamnの本来の意味で、酷評するとか、damn it などの表現もここから来ている、これが下品な表現とされるのも、本来の意味があまりに恐れ多いから、みだりに口にすることをはばかる、という感覚から来ているはず。

マイケル・ジャクソンは非常に教養が高く、正しい言葉と汚い言葉をきちんと使い分けている。この曲は一貫して非常に美しく、正しい言葉でつづられてきているのに、最後だけdamnが出てくるのはどうしても違和感があるのだけれど。nativeはそうは感じないんだろうか?

他の歌詞との言葉の上品さの整合性、直前の2行、これらを見ても、ここは極めて目にすることのまれな、本来の意味で使われているdamnじゃないかと思うのだ。文字通りには「俺達は神の制裁を受けるのではないか」。

感謝することを忘れ、おごり高ぶり、欲につかれて、すき放題にやってきた人間達。この罪深きわれわれに、神よ、どうぞ天罰を与えてください!この曲の最後としてとても相応しい咆哮ではないだろうか?

もちろん、マイケル・ジャクソンのほんとうの願いは、人が天罰を与えられることではない。しかしこのまま行けば、おそらく天罰、つまりは酷い自然のしっぺ返しを喰うのではないか、とは思っていると思う。神を信じようと信じまいと、自然を破壊すると人間が生きていけないことは、あちこちで理論付けられている。

参考にさせていただいたページ:
英語の構文をおさえましょう
posted by LightWing at 17:56| HIStory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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